反省は必要か

さらなる成長に向けた反省

 

失敗した。

そんな思いをした場面は、誰にでも絶対にあるものだ。

もちろん私にもあるし、読者の皆様方にもあることだろう。

 

次からは失敗しないぞ、と思い反省する。

改善の手法として、最近ではPDCAもよく取り上げられる。PDCAを発展させたフレームワークも提案されたり、正確にはCAPDだと主張する人もいる。

 

ただ、そもそも反省自体は必要なのだろうか、というのが今回の私の主張である。

 

反省することで成長できたか

 

今までの反省を振り返ってみる。

失敗し、なぜ失敗したのだろう、じゃあ次はこうやってみよう、と、PDCAを行う(時には専門書を見ながら)。

しかし、結果が伴ったことがどれほどあっただろうか。

あの件は上手くいった!と思いだせる事例は私にはない。

皆さんの経験としても、そこまで多くの経験はないのではないだろうか。

恐らく、「反省」や「PDCA」などと言っている間は、結果は伴わないだろう。

 

見るべきは問題点でも改善策でもなく、結果

 

反省すること、PDCAを回すことは間違いなく重要である。

しかし、それ自体に気を取られてしまって、その結果に目を向けていない人が多すぎると思う。

これが反省やPDCAがうまくいかない原因であると私は踏んでいる。

 

つまり、反省の改善策やPDCAのCの方法とAの内容が、対処療法になっているのだ。

これは、とりあえず改善策やC・Aを出そうとして、行動の結果・影響を視野に入れることができていないことが原因である。

フレームワークにとらわれすぎて、本当に得たい成果を考慮できていないのだ。

 

フレームワークはいらない

 

フレームワークはあると便利だ。

だが、使いこなすには相当な訓練が必要となる。

 

マーケティングフレームで有名な4Pや3Cも、真の意味で使いこなすのはそれなりに難しい。

とりあえず、当てはめてみました、というような使われ方をすることが非常に多い。

フレーム一つでも、奥が深いのだ。

 

そうやって考えると、フレームはいっそこと使わない方が、いいのではないか、とも私は思っている。

理解の浅いフレームを使っても、誤った結果、意味のない結論が出てしまうことが多々あるからだ。

 

それよりも自身の頭で考え抜いた方が、本来の目的に合致するのではないか。

思考の実践を繰り返しながら、似たような事例を重ねていき、各回答の共通項がフレームになる。

結果として、巷にあふれかえるフレームと同一のものが出来上がるかもしれないが、今の自身がそのフレームを使った場合とは、理解度がかなり異なるはずだ。

 

自身の頭を使うことを意識してみよう。

自身の地頭を信じてみよう。

 

反省は不要である。理想を見よ。

 

フレームワークの乱用や形だけの反省では欲しい結果が得られないことに目を向けて欲しく、本記事を書き起こした。
(「反省」という言葉の定義や受け取り方にもよるかもしれないが。)

 

それに、反省しすぎると、どうしてもネガティブになってしまう。

ここがだめなんだ、やっぱり自分がだめなんだ、とどうしても否定の姿勢になってしまう。

 

それよりも、結果を得るためにはどうしたらいいだろうと道筋を考える方がよっぽど健全で希望が湧いてくる。

そして、結果への近道を考えるようになる。

 

自分の悪いところをどう直そうか、と悩むよりも、なりたい姿になりたいと思う方が、思考も行動も加速する。

反省するよりも、よっぽど効率的ではないか。

 

日本人は反省が好きだ。モラル的な要素も多い。だが、それが過剰になると、副作用を得てしまうのではないだろうか。

 

本当に必要なものは何か、どのような考えが必要か、どのような行動が必要か、

 

ぜひ、まずは、なりたい姿をイメージしてほしい。

現状の悪い姿の改善ではなく、なりたい姿を叶えるのだ。

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